昔からやたらとパソコンをやりすぎてしまう。パソコンて何だ?別にネットサーフィンをやりすぎてしまうという話ではない(ネットサーフィンとかは、スマートフォンの方が向いていると思う)。我々(誰?)がパソコンと呼ぶとき、概ねそれは「プログラミング」なのだが、一方でプログラミングとはいえない、例えばコマンドを打つだとか、AWS コンソールをいじるだとか、そういった作業も一定含まれる。友人は「プログラミング」の語感が気に入らないからパソコンと呼んでいると言っていて、確かにそれもわかる。何だかカッコつけているような気持ちになる。プログラミングて。「グ」が二回出てくるのはヤバい。まあ、何となくそういう感じの雰囲気を共有している界隈に甘んじて、通じるからといってパソコンがどうだと言い続けているわけである。
パソコンをやりすぎると、色々な問題がある。今日は絵でも描こう、飽きてきたら外に行ってカフェで本を読もう、徐にデスクに座る。ターミナルを開いていて、そういえばそういうのあったなと思う。HHKB を叩く。空腹に苛立つ自分に気付いたら 14 時である。パソコンをやっていると、1日の予定がいともたやすく破壊される。それだけではなく、パソコンは後に尾を引く影響をもたらす。パソコンをやった後というのは、たいてい頭が「パソコン・モード」になっているから、他の何にも手につかず、部屋をうろうろするしかなくなることがある。そういうのは頭に情報を流し込むと落ち着くことが多いので、Wikipedia を開いたり SNS を眺めたりする。15時。まだ食事もとっていない。最悪である。また、パソコンを午前中にやってしまった日は、午後に何をやっても気力が湧かないことがある。何をやってもパソコンの達成感を超えられない。煮え切らない気持ちのまま午後をやりすごし、報復性夜更かしがちらつく頭をごまかしながら眠ってパソコンを忘れるしかない。
最近、この「パソコンやりすぎ現象」がうえで説明した「パソコン」に限って発生することではないらしいことに気が付いた。rekordbox や Ableton Live といった類のソフトウェアを使用しているときも、タイミングが悪いと同じようにろくでもない時間の使い方をしてしまう。リモートワークの昼休み中に rekordbox を開かないでください。仕事に戻れなくなってしまいます。いやいやプログラミング関係ないじゃないか。プログラミングとか関係なくて本当の意味でパソコンが悪いのか?うちのキーボードから指を伝ってよくないシグナルが頭に伝わっているのでは?確かに、会社では家でパソコンをするときのように、よく集中できることはまれである。やってることは紛れもなくパソコン™なのですが...
今のところ「パソコンやりすぎ現象」は頭のなかのコンテキストが特定のトピックに偏っている結果なのだろうなと考えています。生活も作業も仕事も、発想だとか意思決定だとかが随所随所に挟まっており、賢いエーアイがそのまま生活も仕事も置き換えることができないことからもわかる通り、それらは自分の中にあるコンテキストに非常に強く依存している。単純な作業というのは意識的な思考に処理を戻すことなく進行でき、そんな中で意思決定とか発想が必要なポイントで意識にボールが返ってくるわけだが、コンテキストがよく展開されていると多くのそれが一瞬で終わってしまう。例えば AWS のコンテキストが頭に展開されているから EventBridge に出そうなイベントをなんとなく予想した状態で設計を想像したり iam:PassRole が必要な場面でそれに気付いたりできる。思考がほぼ挟まっていなくて、まったく集中を阻害しない。一方で AWS のコンテキストでは昼飯に何を食えばいいのかは全く思いつかない。アマゾンウェブパスタ、アマゾンウェブパスタって何だ?でも今は 14 時なので昼飯を考えなきゃ、コンロを使うのに必要な identity-based policy は...... コンテキストが変なだけで別に頭は回っているので、この流れだと 15 時ぐらいまで飯にありつけないことも理解しているのが最悪である。おいしいごはんを食べたいときの頭に戻すことができたら、ああ今日は麺より米が食べたいなとか、あそこのラーメン行ってみたかったんだよな行ってみるかとか、そういえばトマト缶余ってたなとか、いくらでも幸せな食事に向かいそうなアイデアが出てくるのだが。パソコン頭では「醤油飲みたい」ぐらいが関の山である。
特にパソコンマンになりたいわけではないため、豊かな生活のためにパソコン以外にもたくさん時間を使いたい。とはいえ、この集中力は自分の武器でもあると思っている。だから、パソコンをやりすぎてもいいけど、その直後においしくご飯を食べられるようにしたくて、でもどうしたらいいのかよくわかっていません。